「あなたは他人とどんなふうにつながていますか?」と問われた時
だれもがスラスラと返答できるものでしょうか?
最近は、書店でもネットでも「コミュニケーション力のアップ」を謳ったものをよく目にするようになりました。
コミュニケーション力の低い人は現代社会を渡って行きにくい・・・と思わせるようなタイトルもしばしま見かけます。 人との関係に希薄さを感じている人には危機感をも感じさせるかもしれません。
そこで 私は思います。
コミュニケーション力さえ鍛えられればいいのかしら?・・・と。。。
そこにコミュニケーションの質について どれほど関心を寄せている人がいるのだろうか?ということ。
ただ単に独りになることを恐れてスケジュール帳を埋めるかのごとく約束をとりつけたり、時間を空けるのが怖くて必要以上のメール交換に興じたり、内容のない話に群がり時間を費やしたり。。。
一人にならないことで安心している。
本当の安心ではなく、一時の気休め的なコミュニケーション。
心の底では、離れたいと思うような人との付き合いさえ絶つことができない。
息詰まるような関係でさえ 孤独を感じることが怖くて続けてしまう。
そんな自分を振り返り 自信喪失体験を繰り返す。
ただ多くの人と接触するだけではなく どんな質のつながりを維持できているか?が人生を左右する鍵にもなるのでしょう。
つながりの種類にはいくつかあります。
・子どものママ友だち
・仕事場仲間
・学生時代からの友だち
・趣味で集う仲間
・成人してからできた友だち
・ご近所さん
・パートナーがらみの知り合い
人によっては まだまだあるでしょう。
全てのつながりで心許せる人間関係を築くのは難しいことだと思います。
考え方、人生に対する姿勢、常識的な範囲において 全く違った人たちとの接触もあります。
そんなコミュニティでは、ある程度自分を抑えて差しさわり無い会話で流すことも必要です。
全ての付き合いに本音で関わることを求めるのは実際無理があります。
しかし、そんな中でも自分を全く殺してのお付き合いは息苦しいはずです。
「私にだけ情報が伝わってこないのではないか?」
「イヤでも参加していないと仲間はずれにされるのではないか?」
「次回会った時によそよそしくされるのではないか?」
・・・などに恐怖を感じ 作り笑顔で参加して ドッと疲れを覚える。
そして そんな自分を眺めて 「どうしたら平安な心を手に入れることができるのだろう?」と溜め息をつく。
突然ですが
“孤独”という言葉に どんなイメージを持っていますか?
・暗い?
・さみしい?
・みじめ?
・認められない?
・見捨てられた感じ?
「とにかく誰かと接触していなければ!」と強迫的な考えがある人はたぶんこなんなイメージを持っているのでしょう。 “孤独”という状態に このようなイメージ、感覚をもっているのなら それを受け入れるのが難しいのは無理ないことだとも思います。でも、“孤独”の解釈を少し違う角度から理解できると心の向きも変わるものです。
孤独な時間も楽しみつつ そんなに数は多くなくても本音を分かち合える友人とのつながりを感じることができれば、他の付き合いに不必要なエネルギーを注ぎ 疲労を感じることも少なくなります。
なにより 日々の過ごし方に納得でき あなた自身が爽やかな気持ちを感じることができるはずです。